慢性的ドラマチック欠乏症

そのロマンスで救える命がある

人生の汚れ、生きてるうちに

2023年11月3日の日記

好きだけで乗り越えられないこともある

楽しかった日を思い出して戻りたいと泣かないくらい精神が安定してきたら、絶対にここに残しておきたいと強く願う楽しい旅行が終わった。

結論、燃え尽きた。

今まで頑張ってどうにか生きる理由を作ってきた。少しずつ先に目標をいくつも立てた。人と共同でものづくりをする約束もした。でもそれはほぼ全て趣味のための目標であり、(二次ではあるが)創作をする者としての自分が満たされることはあっても、それを作る自分自身の存在を自分で許容できるまでには至らなかった。私はいまだに、私の作る作品が好きだが私は大嫌いである。

推し活が生きる意味と言っても笑われることは少なくなった昨今ではあるが、それでも所詮は趣味である。離婚と違って、ジャンルを降りることに申請が必要なことはない。婚姻関係や家族関係に比べれば、趣味による今世への拘束力ははるかに低い。

約束を投げ出すことに罪悪感はあるが、耐えきれないという気持ちの方が強くなってしまった。

加えて昨日は躁状態のスイッチも入っていたため(体感的に明白なほどだった)、昨日のうちに45リットルゴミ袋3袋分の服を捨て、大好きなクロミちゃんのかわいいレターセットに遺書を書いた。

全体的に謝ってばかりの遺書で、最期まで自分はずるくて情けない人間だと思い知らされた。謝ることは防衛手段である。先に謝ることで、相手を悪者にすることが可能である。いつもこうして戦略的に被害者面ができる環境を作って生き延びてきた。だからもう、こうする以外に自己の示し方がわからなくなってしまった。

遺書には家族への迷惑をかけることの謝罪と、気遣いを受け取れなかったことへの謝罪、最後にわがままばかりの人生であったことを謝罪した。会社にも、環境は悪くなかったのにそれに適応できない、給料に見合った働きをできない自分を詫びた。そして最後に、私の人生で片手5本指でも余った数少ない信頼できる友人の名前と連絡先を記した。

最後に可愛いシールで封をして、自分の名前を書いて引き出しにしまった。書き上げた後は晴れやかな気持ちだった。

その日は結局原稿どころではなかったため寝たが、躁状態のまま1人反省していたら止まらなくなった上にこの頃毎日くる不安による吐き気が酷かったため、夜に食べた菓子パンを一通り戻してから不穏時の薬を飲んで寝た。

また朝が来てしまい今日この日記を書いているが、私の家の引き出しには世界一可愛い遺書がある。もう投げ出しても大丈夫。そう思うと不思議と昨日より世界は明るく優しく思えた。