慢性的ドラマチック欠乏症

そのロマンスで救える命がある

緊急でブログを回してるんですけども

2023/6/19の日記

今、書いておかねばと思った

絶望的に掃除(とくに皿洗い)ができない。

自分は俗に言う汚部屋のなかでも衛生的にはまだマシな部類に入るタイプの汚部屋(ゴミはすぐ捨てるがモノが溢れている)だと思っているのだが、シンクだけは別で生ゴミや、カレーやパスタソースなどがこびりついた皿が日を経て異臭を放ち果ては虫が湧くことを見て見ぬ振りをしながら暮らしている。

極限まで皿洗いを溜め込み、使う皿がなくなった時にいつも通話を繋ぐなどして人に応援をもらいながらではないと皿洗いができない。皿洗いから逃げるために外食や惣菜を買ってくることが多い。そのため月の食費が多い。だがお金は有限であるため、最近はもっぱら「皿洗いから逃げるための外食(買い食)費節約のために1日1食にする」なんて日も珍しくなくなっている。ちなみに自分は自分でパイを焼いたり、塊肉からチャーシューを作ったりするくらいには自炊が好きだし、食に対して興味関心はある方だしあまり強くはないがこだわりもある。だがそんな食の楽しみより皿洗いの憂鬱から避けることを選んでいる。

あまりにやばいと思ったので某サイトで完全匿名で相談を投げた。口調は厳しいが的確な意見をいくつかいただき、その中でもまずは業者など他人にどうにかしてもらい、その後自分で「朝には絶対一回洗う」みたいに決まりごとを作り、習慣化させていくのはどうか。というアドバイスが良いなと思った。

本当に赤の他人相手なので(友人相手だと少しだけ現状をよく見せたい心理が働き100%本当のことを言えない時がある)、赤裸々に人に話をすることで頭が整理されてわかったのは、生育環境に理由があるのかなと思った。

実家にいた頃、綺麗好きな母親に自分のものを勝手に片付けられるのが嫌だった。確かに綺麗好きな母親から見れば私の机はごちゃごちゃと汚かったと思う。あまり物に執着のない妹の机は綺麗だった(一人暮らしを始める高校卒業までは妹と同室で机も隣同士だった。今思うと本当に妹には申し訳ない)ので物まみれの私の机は余計に汚く見えただろう。だが他人から見れば混沌の荒れようでも、私の中にははっきりと秩序があった。ハサミはここ、参考書はここ、リップクリームはここ、というように自分なりの定位置があった。だがそれは頻繁に、そして勝手に綺麗好きな母親によって善意で「整って見えるが定位置ではない場所」に動かされた。自分の中の定位置から物を動かされると、私はしばしばパニックになり泣いた。

上京・進学し一人暮らしが始まっても、実家からアクセスが良い場所に住んでいた頃はけっこう頻繁に親が掃除しに来ていた(自分から来てほしいと頼んだことはなかったし、大体がアポ無しだったためよくアクシデントもあった)。その度に自分はまた物が定位置から移動されていることにパニックを起こしていた。だが学生であるということや今より全然交友関係があったこともあり、人を家に呼ぶ機会が多かったため割とシンク含め部屋は今よりは片付いていたと思う。まあ先輩に部屋面積の割に物が多すぎる、みたいな指摘はしばしば受けていたが。引っ越し、社会人になり前より少しアクセスが悪いが家賃が安い場所に引っ越すと、あまり親は来なくなった。人も呼ばなくなった。部屋が汚くなって困るのは私だけになった。部屋はものすごい勢いで荒れていった。

衛生的に汚いのは自分だって嫌である。排水溝の臭いも虫も大嫌いだ。だが、同時に汚れているということに安心感を見出す心があることに、赤の他人に状況説明をする中で分かった。山積みになった皿を見ると、「他人に干渉されていない状態」を視覚的にわかりやすく捉えられる気がするのだ。あくまで気がするだけだが。

ここまで整理して、自分は一丁前に歳だけとってガキのままなんだなと思い知らされた。要は、「(今は別々に暮らしている)母親への抵抗」みたいなものをいい歳こいてまだやっているのかもしれない、みたいな。めちゃくちゃカッコ悪い。なさけない。

明日、また一歩死に近づく(インターネット古典表現)ため、新たな歳の目標は「今度こそ自立した大人になる」で行こうと思う。