2023/6/3の日記
猿川慧ツッパリブレイク
ツッパリブレイクって何!?
わかんねえな
予想を裏切ってくれるという最大のサービス
2ndシーズン一発目の大瀬が闇落ち的な路線だったのですっかり重く苦しい展開と歌を覚悟していたのだが、ドラマも曲も気持ちのいい破壊!爆発!咆哮!って感じだったのでこれは怯えるオタクたちへの最大の反発だなあと思った。猿川慧、いつもハラハラさせてくれてありがとう。これからも勝手に心配させてもらうぜ!
荒唐無稽な見た目からすごく律儀な味がする歌
細かく歌の感想を述べていく。
初見(ドラマ内のトレーラー)を見た感想はなんてメチャクチャなんだ!という混乱強めの驚きだったが、フルを繰り返し聴くとこの曲の印象がガラリと変わる。この曲、あまりにも律儀である。
2ndブレイクのビジュアルや曲のタイトル、そしてサンプリング元である「男の勲章」からわかるように、この曲は日本のツッパリヤンキー文化をお手本のように体現している。リーゼント、変形制服、バイク…のようなビジュアル面だけでなく、その文化の在り方みたいな部分までを律儀になぞっている。
まずこれを聞いた人、正直に答えてほしい。
この歌ちょっとダセエなと思いませんでした?
怒るつもりはない。むしろその感覚は合っている。というか、多分意図的にそう作られている。ツッパリ文化というものの語源が今でいう「イキる・虚勢を張る」からきている(諸説あり)。そもそもお手本が「カッコイイだけのものではない」のだ。それを踏まえてこれを見てほしい。サンプリング元と並ぶツッパリソングの代表格、横浜銀蝿の「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編) 」の歌詞(曲中セリフ)である。
かあちゃん そんなに心配すんなよ
勉強きらいな俺だけどさ 人にはそれぞれ あった道ってもんがあるんだよ
もっとやさしく大きな愛で ひ弱な僕を包んでほしいなァ
どうだろうか?なんとなく今回のブレイク曲と似たものを感じないだろうか。実際聴くとわかるが、ボーカルもサウンドもめちゃくちゃカッコイイのに、歌詞はカッコイイだけではなくどこか愛らしさすらある。
こういう尖りの中に見える柔らかい部分も含めてツッパリ文化なのではないか。そして、この曲はツッパリ文化のカッコイイだけじゃないところまでしっかり取り入れているのではないか。
そう思うとメチャクチャ律儀な曲だと思う。文化のを旨み(カッコよさ)だけを抽出して調理することも可能ではあるのに、こういった古き良きヤンキーの憎めなさみたいな部分までリスペクトしている。むしろダサさをより強く感じられるような味付けをされているようにも感じる。ツッパリをローマ字つづりにして1文字ずつバラすとか、そのあとの夜露死苦ゥ!とか、もうここまでくるといっそ気持ちよくなる。
最近はヤンキー文化のカッコイイ部分を濃く煮詰めた作品が多い(ように思う)ため、こういったカッコよくない部分まで丸ごと抱きしめるタイプのリスペクトは嬉しい。1stブレイク曲「LONE WOLF」が洗練されたカッコよさのある曲だったため余計にそう思うのかもしれない。
ひとりでゆく獣道からお前らと進むハイウェイへ
1stブレイク曲「LONE WOLF」の話が出たので、それに絡めて話していく。
今回、1stと比べるとかなりドラマとの連動や猿川の心境の変化を感じられる。
まずわかりやすく大きく違う点として、この曲のノリやすさが挙げられる。決して1st曲がノリづらいわけではない。「ノリを受け入れてくれるか否か」である。
まだ2曲なので推測だが、チャージゲージが一つになったこともあり、2ndブレイク曲はハウスのみなさんがコールで入ってくれるという点が必須要素になっているのかなと思っている。1stは孤独を歌い、雨に濡れ苦しみ吠える姿に近寄りがたささえ感じさせていた猿川慧が2ndでとったコールの受け入れ方は、なんと合いの手であった。2ndは曲自体ノリが良く、構成もわかりやすいためコールがしやすい。手拍子やコーラスなども入ってくる。
私はそこに猿川慧に「仲間の声を受け入れる心の余裕」が生まれた瞬間を見た。真っ暗な獣道をひとりで進む狼が、やかましく眩しいライトのような仲間の声を得て夜の道をぶっ飛ばせる単車になったような。まあそのHighwayもぶっ壊すんですけど!
ルールがあるから反発できる
型があるから型破りであって、型がなければ形無し
格闘技の何かで聞いた言葉だと思っていたが、調べるともとは歌舞伎もしくは落語(有力とされている説が主にこの2つだった)の芸事の世界の言葉らしい。諸説あった。
この言葉、猿川慧の反発と似たものがあると前から思っていた。猿川の反発は「相手の言葉を理解した上で、その真逆をやる」という理屈なので、唐突に意味不明なことをするのではなくちゃんとルールに則って逆らっているわけだ。今回の曲はかなりそれが出ていると思った。
チャイムを聞いてから頭突きを食らわせ、破る教科書をしっかり持参し、追い風が吹けば身を翻して受けて立つ。
喧嘩の即購入と身に覚えのないお礼参りは怖すぎるが、一応反発のための道理は通っている。(喧嘩は「売られたら」買う、「やられたら」やり返すが通説)
これがまさに猿川慧の魅力であり狂気性であり生きづらさなんだよな。
肝心なことを口に出してくれないよね君は!
ブレーキはいらねぇ(いるぜ)
ここ、割と感想ツイートの解釈が二分していたように感じた。「ブレーキ?いらねぇ!」「いや要るだろ!」なのか、「俺たちがブレーキになってそばに居るからお前は止まるなよ!」ってことなのか。トレーラーMVに無い部分なので、受け手の想像力でどっちにも取れるのがエモい。
あと「男の勲章」のメロディが流れる中でのセリフパート。
この街は俺の…
このあと絶対に答えを見出したのにはっきり口には出してくれない。
……もう迷わねぇ
こちらの決意を回答に代えさせていただきます。ってことなのか!?お前らには聞かせてやんね〜!ってことなのか!?なるほどね!
また、フルを数回聞いてから歌詞を見てやっと気づいたガバなのだが、サビで「ぶっ飛ばして」いたのはHighway(ハイウェイ)ではなくHide away(ハイダウェイ)だった。Hide awayって何よ?とググったら隠れ場所って出てきたんだけど!?隠れ場所を…ぶっ飛ばせ…!?そのまんま本編じゃん!!!これ普通に見落としてたの、自分の目が節穴すぎる。多分ヤンキーの単車+ぶっ飛ばす=高速(スピードを飛ばす)って勝手に補正してしまったのかもしれない。
加えて歌詞の話だと、なぜ学生ではなくろくに学校に行っていなかったことが明言されている猿川慧のブレイクが昭和のヤンキーになるのか?って部分がずっと謎だったのだが、Twitterで「あの街からの卒業の歌だから学校だったのでは?」という考察ツイートを見てスッと腑に落ちた。そこに付け足すような自分の考えになるが、猿川自身がろくに学校に行っていなかったからこそ学校の世界を知るためのものがヤンキー漫画とかになったのでは?それであの昭和ツッパリスタイルが確立されたのでは?と勝手に思っている。猿川慧はグラップラー刃牙を読んでいる(deステのトリケラトプス拳より)から多分同年代もしくはもう少し前くらいのヤンキー漫画を読んでいる可能性はかなりある。新品は買えなかっただろうし…ブックオフの立ち読みとかで…
憧れの「漢」像がちょっと古いの、愛おしいぜ。
総括
スカッとした爽やかさと巣立ちの寂しさが共存する実に猿川慧らしい歌だった。声出しOKのライブで聞きてえ〜!!!
最後に公式から明示されているサンプリング元以外でエッセンスを感じた歌を貼っておきます。
ツッパリ文化の憎めなさ
中盤のセリフパート
多分聞いてそう
2次元の近似値