慢性的ドラマチック欠乏症

そのロマンスで救える命がある

カワイイバイアス

2023/3/8の日記

胸に手を当てて考えろ

好きな配信者の配信のお便り募集コーナーで自分の投稿が読まれた。

コーナーは多数あるため詳細は割愛するが、ジャンル問わず熱量のある感情を求めている方なのでこのブログでも3/5の日記として書いた舞台の推しのビジュが良かった話を送った。

そして配信中、配信者が実際にキャストビジュを見てくれたのだがキャラクターの第一印象が「いかつい」だった。

無論推しキャラは俗にいうヤンキーキャラといった風貌や荒々しい性格であるため、まったくその感想に問題はない。

だがその時自分は気づいてしまったのだ。

自分の中で推しにカワイイバイアスをかけていることに。

推しはヤンキーキャラではあるものの、身長が低かったり髪をおろすとベビーフェイスであったりどこかチョロい面があったりとかわいい面も持ち合わせている。

だがそれは怖い・かっこいい・いかついといった「可愛くない前提があってこその第二の側面」であり、可愛さを全面に押し出しているキャラではないのだ。

なのでコンテンツを知らない人が見て真っ先に「いかつい」という感情が出ることはおかしくない。「第一の側面」を見ているのだから。この場において、「いかつい」に否定ではなくとも少量の違和感を覚えた自分の方が異常なのだ。

もっと言えば、自分の中で印象の優先順位を振り返ると無意識に「かわいい」が圧倒的1位になっているように感じたのだ。というか、かわいい以外の感情が存在感を失いつつある。

これはよくない。

キャラをかわいいと思うこと自体は悪ではないが、かわいい以外の視点を失うことが問題なのだ。推しのあらゆる挙動が「かわいい」という汎用性の高い感情に集約されてしまう。かわいいでしか物事を見れなくなる。かわいくない面を見落とすようになる。

キャラクターを長く多面的に味わうためには、このカワイイバイアスを捨てなくてはならない。

自分が無意識にかけていたカワイイバイアスに気付かされたため、ジャンル外の人との関わりは大事だと強く実感した。